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サリドマイドから米国を救った人物とは

サリドマイド事件とは1950年代末から1960年代初めに世界中で多くの胎児がサリドマイドという医薬品の副作用による被害を受けた薬害事件です。
被害を受けた胎児の多くは死産、あるいは四肢や聴覚、臓器に障害をおって生まれてきました。

日本でも約千人が被害を受けたとされ、生存した309名が被害認定を受けています。


サリドマイドは1957年に旧西ドイツで鎮静・催眠薬として開発され、日本では1958年に極めて簡単な審査で承認されました。日本では安全な睡眠薬として発売されました。さらに1960年にはサリドマイドが配合された胃腸薬が発売され、妊婦がつわり止めとして服用する機会が増えたことで、被害が拡大しました。


1958年以降、奇形の子どもが次々と生まれ、1961年11月にはドイツで奇形とサリドマイドの関連について報告されました。その後、欧州各国ではサリドマイドの回収がはじまりましたが、日本では対応が遅れ、さらに被害が拡大したと言われています。


当時、承認される医薬品の有効性や安全性については評価が厳格には行われていなかったと言われています。どちらかというと、偽薬ではないかどうかといった品質の評価が主であり、有効性や安全性に重きが置かれていなかったのでしょう。

この事件をきっかけに、世界各国で医薬品の承認のあり方について見直され、医薬品の有効性および安全性の評価が重要視されるようになりました。




この世界的に大きな被害者をうみだしたサリドマイド事件ですが、実はサリドマイドが配合された医薬品は当時、米国では発売されていません

もちろん製薬会社からの承認申請はありましたが、審査側のある人物が動物実験による安全性のデータが不十分と指摘し、承認にまったをかけていたのです。1962年にこの人物には米国の救世主として大統領勲章が贈られています。

実はこの人物こそが私自身が薬剤師を志すきっかけとなった人なのです。中学生の頃にサリドマイド事件を習い、米国では薬剤師(正確には薬理学者でした)が承認時に疑問を抱き、様々な圧力に屈することなく承認しなかったということを知りました。
今となっては当時の先生の言い方や聞いた私自身がどう解釈したのかも曖昧な記憶となってしまいましたが、それでもいつも思うのです。薬についての学びを止めることなく、さらに周りに流されることなく、職務を全うしようと。


sakimitiharu.hatenablog.com
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